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日 神 社
(にちじんじゃ)
西牟婁郡白浜町十九渕(伊勢谷)1177番地
御祭神
(主祭神)月読命 天児屋根命
応神天皇 天照大神 (配祀神)金山彦之命
軻遇突知命 上筒男神 中筒男神 底筒男神
大国主命 皇大神 伊邪那美命
境内社
金刀比羅神社 愛宅神社
住吉神社 杵築神社 篭神社 熊野神社
令和4年4月16日(2022)
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由 来
六条天皇の御代、仁安2年9月9日(1167=平安時代)吉田少将藤原範秀が自ら所有の山林を開拓して、伊勢に鎮座坐す天照皇大神の御分霊を奉斎したのに始まる。
依って、此の地名を伊勢谷と稱して現在に至る。
御分霊は御船にて奉迎し、富田川口に到着、神輿を暫時川口の島上に安置して幣帛を供進する。
この島を名付けて、幣納の島(へいのうのしま―現在は此れを訛りて、へいぞうじま、と呼んでいる)実に由緒深き島にして過ぐる。
昭和41年10月30日斎行の日神社800年式年大祭には、往古を偲び神輿を「中の浜辺」に神幸して祭礼が執り行われた。
それを記念して、現在も此の島上に鳥居が建立されている。
範秀は、天児屋根命の後裔・藤原淡海公十六世の孫にして敏秀の子孫代々本社に奉仕して現在に至る。
創建以来、富田12ヶ村の産土神にして往古は社領も多く社人も12人あり、著名の大社であったが、天正13(1585)年の一乱に依り、宝蔵・長床・神楽殿・絵馬舎等火災に罹り、社領も召し上げられ社人も自然減員となる。
本社は創建以来、明治維新に至る社号を「若一王子之宮」と称したが、明治に至り神仏分離の際、社号を「日神社」と改称された。
本社の社地は周囲16町に及びし事は紀伊続風土記にも見え、又、社殿は荘厳美麗を極め、当時世人は本社を称して紀州日光と呼び、例祭には田楽舞、流鏑馬等の神事のあった事は旧記にも記されているが現在は既に絶える。
明治以前迄は、別当海門寺(倉谷山と称す)大子堂・鐘桜僧坊等・境内にあったが、明治4年の廃藩置県の時、廃寺となり海門寺に属する建造物は全て取り壊しの処分となり、社僧も放逐された。
(例祭)
祭典当番は、東・西・南・北の4富田を1ヶ年交代にて順次務める事に定めている。
昭和37年、各富田の代表総代4名が神前にて順番のくじを引いた結果、1番・南、2番・東、3番・北、4番・西となり、それ以来この順にて当番を務めている(但し、西地区は才野区一区の関係上・2巡目―8年目―毎に宮総代全員が代って務める事に定められた)。
例祭には式典中、稚児の奉幣神事がある。
これは小学入学前年の男女児に限られ、各地区から稚児装束姿で本社に到着、定刻祭典のお祓いを受け、当番地区を先頭にして各地区毎に昇殿し本殿に奉幣したる後、境内社を巡拝して終る。
この稚児神事は、明治末迄行われていた「正人」(しょうど)の稚児神事を現代的に復活したもので、昭和38年の例祭より始められ今日に至っている。
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県指定文化財・本殿
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境内社
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社務所
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